第69回日米学生会議公式ブログ

実行委員や参加者の”裏側”を伝えていけたらなと思います。

「いじり」の構造

こんにちは!!!立て板に水系日本男児ことまつけん(松村)から引き継ぎました思想RTの野間です。あだ名はまんすです。(由来は極秘㊙︎)宜しくお願いします!この度、末席ながらも第69回日米学生会議日本代表派遣団の一員とならせていただき、光栄の限りです。名に恥じぬよう、自力と他力を信じて精進しますので、何卒宜しくお願いします。

 

まつけん他己紹介ありがとう。ご紹介の通り、僕は、京都大学工学部で化学を専攻しています。しかし、もはやこの肩書きは不要であるというか、実は僕の1%さえも表していません。何学部か自分でもわからなくなるくらい興味関心が多岐にわたっているからです。

 

宇宙、文明、生命の構造や本質といったものに惹かれ、できる限り身体の制約を超えて空間と時間を無限往復運動し、彷徨う中で、自分の命をこの世界に繋ぎとめる確かなものを求めて生きている未熟な野蛮人です。「森羅万象を解明したい」そんな不遜な欲望と共に生きています。

 

なぜ思想RTを志望したのかについて、一言だけ。

 

思想は僕の人生そのものだからです。思想が現代において価値があること、社会が今緊急的に必要としていることは、強く首肯するところですが、何よりも自分の人生に意味がある。だからこそ選びました。難しい理論はたくさんありますが、そんなものは二の次です。

 

思想分科会を作ってくれたまっさん本当にありがとう。いつか泣かせます(てへぺろ

 

『思想により生かされ、生きることで思想を還す』

 

先人から受け継いだ魂を自分の肉体を通して、少しでも磨き、後世に継承する。そんな生き方ができたら本望です。という感じで簡単な自己紹介を終わらせ(自己紹介になってないかもしれませんが笑)、本題に入ろうと思います。

 

いじる・いじられるの構造と本質

 

急にですが、クラスに何人かはいじられキャラっていますよね。彼らの周りはいつも暖かい空間が広がっています。いじったり、いじられたりするとなんか笑いが生まれたり、仲が良くなったりしますよね。急に壁が無くなって、心の底から繋がっている感覚になれたり。初対面なんか特に、こういういじる、いじられるの相互関係になった途端に、距離が縮まります。特に、恋愛とかもういじれる関係になったら勝ちですよね。笑

 

僕の人生を通しても、いじったり、いじられたりすることであらゆる人達と親密な関係を築くことができたことが多々ありました。高校まで野球部に所属していたこともあり(野球部はくだらないノリや、いじることが大好きというのが鉄板(僕もそのDNAを確実に受け継いでいます笑))いじりの現場に当事者として関わる機会が多かったのです。いじる、いじられるには何か凄い力があるはずだ。ずっとそう思っていました。そんな時に、今回の日米学生会議の春合宿が訪れ、うっすら思っていたことが確信に変わりました。簡単に言うと、僕の分科会のメンバー同士がいじり合う関係になった時に、チームの仲の良さが格段に上がったのです。いやあもう自分の中では大激震ですね。問いを持って生きていたら、目の前に現れる体験がそれを教えてくれるんだなあと改めて感じました。

(下の写真、左から野間、吉村彩、新郷雅大、押切彩、大野友)

少し画質が良くないですが、愛しの思想メンです!

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ということで、この現象を解明したく少し考えてみることにします。。「いじる・いじられる」の構造と本質に自分流で迫りたいと思います。

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二者間でのコミュニケーションを上記のように簡単に図式化します。

 

基本的に1on1の公的空間(初対面の場)などは、相手のことを探りながら、矢印aと矢印b(以下矢印省略)により、コミュニケーションします。相手の表情や、言動の節々から相手のことを知ろうとするが、なんかぎこちないです。本当に相手と繋がっている感覚にはなかなかなれない。なぜなら、aとbが指す対象は相手が公的に演じた姿だからです。公的に演じられた相手を見ながら、自分の中の私的空間に相手像を描きます。このやり取りを繰り返す中で、相手のことを徐々に知っていきます。(知っていった気になるという表現が正しいか)だが、このやり取りを何回繰り返してもなんかしっくりこない。いわゆる「なんか気まずい」「なんかぎこちない」ってやつです。むしろ初対面の頃は未だ会ったばかりだからと言い訳できましたが、長く付き合っていてもその状態だと「その人とは合わないんじゃないか」と思ってしまいます。なぜそうなってしまうのだろうか?

それは、aとbはあくまで相手の演じられた姿を見ていて、それにより相手の像が作り上げられていく。演じられた姿を把握することは、相手のことを本当に理解することにはなりません。微妙な誤差の繰り返しが積み重なり、自分の描いている相手像と本来の相手の姿の間に大きな乖離が生まれ、コミュニケーションがぎこちなくなるのです。(いわゆるバタフライ効果です)

 

では、どうすれば、そのなんとも言えないぎこちなさは解消されるのか?

また、図を持ってきます。

 

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何が変わったのでしょうか?新たに現れた矢印はcとdです。これがキーになると思っています。そして、ここで遂に「いじる」という行為が登場するのです。cとdの意味は公的に演じられた相手を見るのではなく、その奥にある私的空間を見ようとすることです。私的空間とは例えば、自分のコンプレックス等が含まれます。初対面や公的な場では、なかなか見せたくない自分の苦手なことや、弱点といった恥ずかしさを覚えてしまいがちなことです。(フロイトの抑圧理論等も参考に)

いじるという行為は相手のそのような部分を認めて、それを巧みにコミュニケーションの手段に変換する行為です。本当に相手のことを知るためには相手の私的空間を見る力が必要なのです。懐に入るのが上手い人はこれが自然にできる人だと思っています。

(ここは、本当に繊細で、難しいところで見られたくないかもしれない私的空間をどうやって相手の心地よい形で引き出すか?そもそも引き出す必要があるのか?と常々自問するところです。)

 

コンプレックスや恥ずかしいことをおもしろおかしく表現することはともすると「いじめ」につながりかねないと思う方もいると思います。「いじめ」に関しては本当に複雑な因果が絡み合っていることだと思うので、僕ごときが言及できるものじゃないので、僕の中では、上記の図の中のみに限定して「いじる」と「いじめ」の明確な違いを述べます。

 

「いじめ」はaとbで相手のコンテクストに寄り添うことなく、コンプレックスや恥ずかしいことをおもしろおかしく表現することで、「いじり」はcとdで相手のコンテストに寄り添った上で、コンプレックスや恥ずかしいことをおもしろおかしく表現することだと思っています。

 

このように「いじる」ことはコミュニケーションを円滑に、より繋がっているという感覚をもたらしてくれますが、使用する際は、「相手のコンテクストに寄り添う」という前提が必要なのです。

「いじる、いじられる」というのは『相手のコンテクストに共感し、私的空間にあるものを巧みに引き出すことで、演じられた相手を通して描いていた相手の像を、一度解体し、本来の相手の姿を公的空間に出現させることで相手との繋がりをより親密にする行為』だと僕は定義します。

 

そして、「いじる、いじられる」を考える上でキーとなってくるのは「共感力」だと思っています。

これもまた本当の意味を突き止めようとするとなかなか一筋縄ではいかない言葉だと思っています。

そして、さらに書いてる途中で、「でもよく考えると、いじる、いじられるというのは表面上でキャラを作っているケースも多いではないか」と思い、これについても考えましたが、紙幅の関係で今回は割愛します。笑 僕はこれを「欺瞞的いじり」と名付けます。

 

また、機会があればそれと「いじる」の方法論的なところ、(そして今回は「いじる」側からの視点が多かったので)「いじられる」側の視点、組織、共同体における「いじり」文化の意義と役割、「いじり」から考えるコミュニケーション論の展望まで書けたらと思います!(次は、また違うテーマで書きたくなると思うのでいつになるかはわかりませんが笑)

稚拙で退屈な論考に最後まで、お付き合いくださった方ありがとうございます。紙幅の関係で伝えたいところを全然伝えられませんでしたが、「いじる」ということを通して、少しでもコミュニケーションというものを考えるきっかけになっていただけれたなら望外の喜びです。

 

今回書くにあたって、本当に人間のコミュニケーションは奥深いなあと思い直すきっかけになりました。「コミュニケーション」というシンプルなように見えて、実は深淵で、興味深い問いに対して人生通して考え続けていきたいと改めて思いました。

 

Self and Society: Sharing Perspective and Inspiring Action

己を省み、人を知る。〜価値観の共有から生まれる可能性〜

 

これは実行委員会の方々が熟慮を経て創り上げた本会議のテーマです。このテーマは好きという言葉では軽すぎるくらい気に入っています。複数の価値観を持つ、個性豊かな日本側参加者、アメリカ側参加者と一ヶ月間対話を重ね、自己と他者という無限の関係性の中でコミュニケーションというものに迫れたらなと思っています。

2017夏。とても大変だろうけど、それをはるかに超えるくらい楽しみです!

 

最後に次回予告です。

次にバトンを渡すのは

 

(まつけんと同じ)文化分科会・川崎明宙

 

くんです。彼は僕と同じ京都大学の工学部に所属しながら、日本の伝統文化である能をしている得体がしれない渋爽やか系男子です。能の魅力を語ってくれる彼は日本の魂の生き字引的存在です。話し方や間合いの世界観が独特で興味の尽きない人物です。(モノマネ練習してます笑)彼は何を語ってくれるのでしょうか?みなさん乞うご期待!

 

野間からは以上です。駄文にお付き合いくださりありがとうございました!

 

思想RTガンガンいこうぜええええええええい!!!

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