第69回日米学生会議公式ブログ

実行委員や参加者の”裏側”を伝えていけたらなと思います。

170529 第二回勉強会 ブログ報告

こんにちは。

戸嶋寛太というものです。

はやく喋ることと、ドクターフィッシュが苦手です。

 

今日は、5/27(土)に行われた第2回勉強会について報告します。

 

 

勉強会とは?

 

勉強会とは、勉強をする会です。

ただ、「勉め強いる」ことはなく、

あくまでも主体的に、楽しく、相互に「学ぶ」会といった方が適切かもしれません。

 

週一で有志が集まり、特定のトピックについて、調べたり、お互いの知識や見聞を共有したりすることで

本会議に向けて全体知の総量をあげようというイメージです。

 

かく言う僕も先日初めて参加したのでもし本来のものと違ったらご容赦ください。

 

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(オンラインミーティングはこんな感じ)

 

 

第2回のトピックは「アメリカ」

 

中間試験と被っている人が多かったため、今回のミーティングはオンラインで、事前準備は特になしで行われました。

 

 

最初の参加者は男三人(男子校)。

それから、加わったり離脱したりで、最終的には五人くらいになっていました(ほぼ男子校)。

(戸嶋は昔から男を集めるフェロモンが出ていると言われます)

 

 

まず、それぞれが「アメリカ」について関心のあることを述べ、みんなで各トピックについて議論しました。

 

 

アメリカの政治・メディアや日米外交史などの硬い話から始まり、

メインディッシュとしてはアメリカ人のアメリカ人性はどこに依拠するのか、日本人の場合は?などのナショナルアイデンティティに関する話をしました。

 

具体的には、個人や生活のレベルに落とし込んで

 

「どういう時にナショナルアイデンティティを感じるか?それはいつから?」

「もし親の国籍がある日、別の国だとわかったらどうする?」

「サッカーや相撲・ラグビーにおける国籍の捉え方の違いってどこから生じる?」

国連職員と外交官のどちらになりたいか?」など、

 

日常生活ではまず聞かれることのない質問について考えていました(少なくとも僕は道端で日本人の日本人たる所以を尋ねられたことはありません)。

 

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(怖い顔をしてますが、ミーティングは楽しいです!)

 

 

しみじみと感じる多様性

 

議論を通じて感じたのは「多様性」でした。

 

当たり前かもしれませんが、みんな20年ほどの違う歴史を歩んでいます。

 

ある人は中国系アメリカ人で大学から日本に来ていたり、ある人は留学中のイギリスから勉強会に参加していたり(僕は19年間ずっと日本にいました)。

 

 

今回のトピックでは特に出自と住環境の多様性が顕在化しました。

 

自分は日本という国・国民性・文化に違和感なく馴染んでいて愛着を持っている一方で、

必ずしもそうではなく、留学先や出身国の文化や国民性に部分的あるいは全体的に愛着を感じている人もいる。

 

「日本が好き」という潜在意識下にある漠然とした感情に対し、

彼らに伝えるためにはその原因や経緯を明確に言語化して説明しなければなりません。

 

 

その過程で

 

「本当に自分は日本が好きなのか?いつから?なぜ?」

「日本のどういうところが好きなの?」

 

といった問いを繰り返し、同時に相手の価値観を聞く事によって、

自分の中に手付かずの状態で漠然とあった「日本が好き」という感情が揺らぎ始め、

ある部分は明白に好きという気持ちが強化され、

ある部分はもっと外の世界を見て判断するべき、

といった具合に感情が整理されていきました紙幅の関係と未熟な内省状態を理由にその部分について言及は差し控えます)。

 

 

今回の勉強会では「ナショナルアイデンティティ」という枠を通じて

お互いの価値観の共有、共有する過程と結果によって生じる自分の価値観の整理的変化が行われましたが、これは何も勉強会だけで起こることではないと思います

(実は後半は「恋愛」という枠でしたがこちらも紙幅とプライバシーの関係で省略します)。

 

分科会での議論や何気ない会話の中にも常にJASC69のテーマである

 

『Self and Society: Sharing Perspective and Inspiring Action

 己を省み、人を知る。〜価値観の共有から生まれる可能性〜』

 

が姿形を変えて潜んでいます。

 

「多様性」という言葉に収束するとなんだかありきたりに聞こえますが、

目の前にいる人たちがそれぞれ異なる経験をしてきて、

自分が当たり前と思っている事に対して異なる価値観を抱いている、

そしてその異なる価値観を時間をかけて包み隠さずに話すことができる(ここ大事!)時間と場所はなかなかありません。

 

JASCという恵まれた環境にいることを自覚しつつ、これからの活動を一つ一つ大切に頑張っていきたい、そんなことを確認する土曜日となりました。

 

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(イギリスからオンラインミーティングに参加する人も!----)

 

 

蛇足:多様性がもたらす幸せ

 

勉強会の報告とは完全にかけ離れた話となるのですが、「多様性」に関連して最近思っていることを共有したいと思います。

 

蛇足+整理仕切れていないので読み飛ばしてくれて結構です。

 

最近、あるきっかけがあって長らく「自分にとっての幸せとはなんだろう」と思考する機会がありました。

 

 

ここでいう「幸せ」とは「美味しいものを食べる」とか「よく寝る」とかの意味ではなく、

生涯を通じて実現したい究極目的」のような意味です(アリストテレスでいう「最高善」=「幸福」です)。

 

 

今まで自分の幸せは「自分が仲間だと思う人を幸せにすること」でした。

 

中高の部活の経験や、現在JASCとは別に行なっている、東大生の主体的なキャリア選択を支援する学生団体の活動からそういう思いを持っていて、

将来は漠然と日本人の幸せの維持向上に関わる仕事に就きたいなと思っていました。

 

 

ですが、最近になって、個人的な出来事と天邪鬼な性格のせいもあり、その幸せの価値観をも疑い始めるようになりました。

 

他者のための自己犠牲が本当に自分の幸せなのか?

目の前の他者に対する貢献に幸せを感じているか?

他者への貢献を自分の幸せと定義すること自体に自己承認欲求が混じっているのではないか?

 

などなど。思考の渦に飲み込まれ、モヤモヤとした日々を送っていました。

 

 

自分にとっての幸せをビシッと正確に定義できない。

思えば、昔からこんな性格でした。

 

どんな次元の話であれ、自分の選択に自信が持てず、何をするにしても優柔不断。

特に感情を評価するのが苦手で、

何が自分にとって「善い」ものであるのかが直感的に分からないから、「好き」という気持ちにもクエスチョンマークをつけてしまう。

 

「好き」というある種感情の根源にある気持ちが漠然としているから、

そこから生じる「憎しみ」や「怒り」などの感情も漠然としているし、

「好き」という気持ちを逸らすようなものや障害があると、正当に評価できず怠惰な心や「怖れ」を持ってしまう。

 

そのことで外界と上手く関係できずに、チャンスを逸してしまったり、人を傷つけてしまっていました。

 

 

そんな回りくどい回想に耽りながら自己嫌悪に陥っていたのですが、

ある日、一周回ってその状態を受け入れ、なら自分にとっての「善い」ものの基準を一つずつでも今より明確にさせていって、

最終的にはうまく自分の感情を評価できる人間になりたい、心からそう思うようになりました。

 

そして、自分にとってのが定まっていて、感情をうまく評価でき、外界に対して自分が正当な感情で関わっている状態こそが自分にとっての幸せなのかもしれない。

 

回りくどい言い方ですが、この幸せの定義は自分なりにストンと腹おちした気がしました(とはいえ、まだ完璧な定義だとは思いません。これだと「自分にとって「善い生き方=幸せ」を見つけることが幸せ」という言葉遊びみたいなのになりかねない?)。

 

 

では、どうやって自分なりの善を定めるのか。

そこで出てくるのが「多様性」です。

 

善を定めるには知識をつけることはもちろんですが、

常に自分の善が揺らがされ、善について思考せざるを得ない環境に身を置くことが必要になります。

 

勉強会の報告の部分にも書きましたが、価値観の多様性が顕在化する環境では、

自分の価値観=善の捉え方をできるだけ言語化したり、

他者の意見と比較して相対化して考える必要があり、

その過程でしっかりと感情レベルで自分の価値観=善の捉え方が明確化されていきます。

 

だから、自分にとって「多様性」が顕在化され、共有される環境は幸せを生む、あくまでも暫定的な考えですが、最近はそう思っています。

そして現にJASCの活動を通じ自分の価値観が少しずつクリアになっていきそうな感じに少なからずの幸せを感じています。

 

 

回りくどく支離滅裂で言葉足らずな蛇足でしたが(JASCだとめっちゃC(=Clarify)サイン飛んできそう)、

僕が今幸せの獲得に向けていい感じの環境にいれることに満足している、ということが伝われば幸いです。

 

長くなってすみません、頭の中からは以上です。