「平和主義」の言葉を覚えただけ?
こんにちは!明宙から指名してもらいました。
JOYこと佐々木彩乃です^^
明宙紹介の通り確かにJASCの二次試験である面接にはインターン中に参加しました(笑)
博多で19時までのインターン終了後、一度家に帰り準備をしてもう一度博多に戻り23時の高速バスに飛び乗ったのは今でも鮮明に覚えています。あれがなければJASCerとしての今がなかったと思うとたった3か月前が懐かしすぎる!
それはさておき
今回は防衛大学に行った際に国防に実際に携わろうとしている同世代と討議し、個人的に考えていたことを書きます(*´▽`*)
特に「戦争」という点についてです。
私は親の仕事の関係でいろいろな場所に住んできました。
特に長崎県では小学生時代を6年間過ごしました。(歴史のある素敵な港町です^^行ったことない人は是非一緒に行きましょう!笑)
ところでご存知の通り長崎は原子爆弾の被害を受けた世界でたった2つしかない町の1つです。そのこともあって「平和教育」がとても熱心に行われています。(だからその後、栃木県に引っ越した際にあまりの戦争に関する教育の少なさに驚いたというか、周りの意識の違いに違和感というか。(あくまで個人的意見です!!!よ!!!)
例えば長崎では社会科見学に必ずといっていいほど原爆資料館を訪問し千羽鶴を寄贈します。8月6日、9日は登校日に指定されており被爆者の方々のお話を聞いたり黙とうをしたり戦争に関するビデオを見たり…その他にも原爆投下後の街を映した写真展が学校で開催されることもありましたし、町の図書館には常時「戦争・原爆コーナー」が設置されていました。
このような環境にあったこともあり幼い頃から戦争や原爆、そして同時に平和についてかなり興味を持っていました。(長崎の小学生皆、というわけではないですよ!!!)小学1年史の頃に読んだ『はだしのゲン』が衝撃的で著者である中沢哲治さんの作品で図書館にある『黒い雨に打たれて』等は全て読み、中沢さん自身についての本まで読み始める始末…諫早図書館の戦争コーナーの本についてはよく知っています(笑)原爆資料館も何度行ったか分からない…。
よって私はある一定の時期まで「戦争は絶対悪であり原爆を使用したアメリカを許さない」と強く思っていました。
だからこそ「アメリカ人の多くは戦争終結の手段として原爆使用を肯定している」と聞いた時の衝撃といえば!!!というか、そんなことをいう人間が本当に存在するのか疑いしかありませんでしたが。
しかし、それからアメリカ側の意見を調べるうちに私の戦争や原子爆弾の使用に対する意識は徐々に変わっていきました。
初めはアメリカ人の考え方に強い怒りしか感じなかったけれども抑止力として核を持つ国が増えている中で「核兵器廃絶」「戦争は絶対悪」と叫び続けることが本当に正しいのか?
「平和主義」「戦争反対」…絶対的正義かのように暗記していたこの短い言葉の意味を深く考えたことがあっただろうか?
そして日本の主に社会科で行われているような「戦争」に関する授業は本当に正しいのか、現代社会の状況を反映しているのか?
と次々に疑問が湧いてきました。
私は「戦争反対」に基づく教育を、またはそのことを訴える作品、人にばかりに知らず知らずのうちに触れ戦争に関する物事を客観的に見るための視点を長い間知らず知らずのうちに失っていた気もしてならないのです。
個人的にはやはり「核兵器のない世界」、「戦争がない世界」を目指すべきだとも思いますが、これは理想に過ぎないのでしょうか。
でも今理想を追うためにはまず何をすべきかたくさんの専門家が、政治家がこのことについては述べていますが世界の足並みをそろえるのって不可能なんじゃないかって思えてしまうことってあるから…。
「核兵器」は、「戦争」はこの世界には必要なのでしょうか?
普段は考えない、または「そんなわけない」と反射的に否定しがちなことかもしれないですがまた原爆の、終戦の夏が来る前にみんなに考えてもらいたいな、と思う今日この頃です。
*写真は大浦天主堂!長崎は出島とかで有名なように南蛮貿易が栄えてました。
それ以前にもキリシタン大名などもいたし、教会はたくさんあるよ!
長くなりました(;´・ω・)
しかも頭の中にある私の疑問をだらだら書いてしまったよ!!!!
でもブログだから…もしここまで読んでくれる人が1人でもいるならうれしいです(*´▽`*)
次は同じマイノリティ分科会の直毅です^^(わーい😃パチパチ)
なぜ私が直毅に次をお願いしたかというと、直毅は私が「仙人」として尊敬する考え方?話し方?の持ち主だからです。
めったに自分のことを自分からは話してくれません!
それでいて人の話をよく聞いてさらに深い内容を聞き出す質問の名人だと思っています。乗せられると話しすぎるよ(;´・ω・)
以上、ありがとうございました!